「ニーベルンゲンの歌」の舞台となった町ヴォルムスと、世界遺産ロルシュ修道院

ドイツ西部、フランクフルトから南へ下っていくと、ライン川沿いにヴォルムス(Worms)という町があります。

ヴォルムスは中世の英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の舞台となったほか、宗教改革運動のさなか教会派とルター派の対立を調整すべく帝国議会が招集された町。

1521年に開かれたヴォルムス帝国議会では、マルティン・ルターの破門および神聖ローマ帝国からの追放が決定されました。この決定前に密かに逃げ出したルターはヴァルトブルク城に隠れ、新約聖書と旧約聖書のドイツ語訳を完成させたのです。

町の中には、「ニーベルンゲンの歌」やルターに関連するスポットが点在。そんなヴォルムスほか、近くにある世界遺産の「ロルシュ修道院」もあわせて紹介します。

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「ニーベルンゲンの歌」とは

「ニーベルンゲンの歌」は13世紀に書かれたと言われている英雄叙事詩。

ネーデルラントの英雄ジークフリートとブルグント国王の妹であるクリームヒルトの結婚、国王の側近ハーゲンによるジークフリートの謀殺、そして夫を殺されたクリームヒルトの復習など、愛と憎しみそして戦いをテーマにした壮大な物語です。

成立時のオリジナル言語は中高ドイツ語ですが、もちろん今は現代語に訳されている「ニーベルンゲンの歌」や絵本版もあり、アドベンチャーや中世が好きな子供や若者から一定の支持を得ています。また研究対象としても大変価値があり、中世文学の授業では必ずといっていいほど取り扱われています。

日本語訳もあるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。ちょっと長いですが、神話伝承や歴史要素が融合したストーリーにどんどん引き込まれて、あっという間に読み終えてしまいますよ。

 

「ニーベルンゲンの歌」関連の泉や記念碑

ヴォルムスは「ニーベルンゲンの歌」の舞台ともなった町であり、物語をテーマにした記念碑や噴水、博物館が町のなかに点在しています。

駅から町の中心へむかうヴィルヘルム・ロイシュナー通りにあるのは、「ニーベルンゲンの歌の泉」。物語を題材にした、本の形をした泉です。

一番上の2体の像は、ジークフリートと彼を襲う重臣ハーゲン。

竜の血を浴びて不死身となったジークフリートでしたが、血がかからなかった背中の一ヵ所が弱点でした。王国に恥辱を与えたとして彼への報復を決意したハーゲンは、ジークフリートの弱点を聞き出し、そこを槍で突いて殺害してしまいます。

そんな突然の死に見舞われたジークフリートの泉があるのは、町の中心にある観光案内所の目の前。泉の一番上に竜退治をする彼の像が乗っています。

彼の視線の先にあるのはヴォルムス大聖堂。

このほかライン川沿いにハーゲンの像があるほか、物語の登場人物が通りの名前になっている所もあり、物語のファンにはたまりません。12世紀の城壁と塔を改装して造られたニーベルンゲン博物館では、物語や町の歴史に触れることができます。

ヴォルムス大聖堂

ヴォルムスのハイライトであるのが、町の一番高い場所に建っている大聖堂。マインツ大聖堂、シュパイヤー大聖堂とともに、ライン川沿いのロマネスク建築を代表する建物のひとつです。

大聖堂の始まりは、600年頃にローマ時代の壁のうえに建てられた教会。その後は時の司教らによって増築が行われていきました。今日見る大聖堂の姿は12世に完成したもので、その後も改装などが行われますが、大部分は当時から変わっていません。

さてヴォルムス大聖堂と言えば、ルターの破門と帝国追放を決定したヴォルムス帝国議会が開かれた場所。1517年に「95ヵ条の論題」を発表したルターの主張は農民層や諸侯に受け入れられ、支持を拡大していきます。

ルター派と教会の対立を調停する必要に迫られたカール5世は、1521年に帝国議会を招集。そこでルターに教義の撤回を求めましたが、彼はそれを拒否。これによりルターの破門および帝国追放が決定するものの、ルターはその前にザクセン選帝侯フリードリヒ3世に助けを求め、ヴァルトブルク城にかくまわれて聖書の翻訳を行ったのでした。

かつてルターの喚問が行われた大聖堂内は、ロマネスク様式ならではのどっしりとした重厚な佇まい。

装飾の少ない大聖堂の中でひときわ華やかさを放っているのが、前方にある祭壇です。1732年に亡くなった大司教のフランツ・ルートヴィヒ・フォン・デア・プファルツの遺言により造られ、設計したのはヴュルツブルクのレジデンツなどを手掛けた天才建築家バルタザール・ノイマン。

側廊部分にはヴォルムスの歴代司教をはじめとする聖職者たちの墓碑が並んでいます。

ほかにも注目したいのはステンドグラス。「聖母マリアの生涯」や歴代司教をモチーフに描かれており、繊細な絵が太陽の光を受けて神秘的に輝きます。

ヴォルムスのユダヤ人コミュニティー

ヴォルムスには、ホロコーストが行われるまでドイツ語圏で最古かつ最大とされるユダヤ人コミュニティーが存在していました。イタリアやフランスからやって来たユダヤ人商人がこの地に定住するのは、960年頃から。彼らはやがて町の1地区に共同体を結成し、その中で独自の文化を育んでいったのです。

黄金期を迎える12世紀にはドイツ国内最大のユダヤ人コミュニティーにまで成長します。ドイツにおけるユダヤの教え、文化の中心として「小エルサレム」とも評されたヴォルムスのコミュニティーでしたが、彼らの歴史には常に他者からの迫害がつきまとっていたという悲しい事実もあります。

最も古いものとして知られるのは、1096年の第1回十字軍運動でのユダヤ人迫害。反ユダヤ思想を掲げるドイツ人の大勢がマインツやヴォルムスに押し寄せ、シナゴーグを焼き払ったほかユダヤ人に対する暴行や殺害を行います。この際ヴォルムスだけでも800人のユダヤ人が犠牲になりました。

その後も度重なる迫害を乗り越えてきたヴォルムスのユダヤ人コミュニティーでしたが、ナチスのホロコーストにより遂に消滅。このとき300人以上が命を落としたほか、海外への逃亡を図ったユダヤ人の多くがナチスの手に落ち殺害されました。

ホロコースト以来ヴォルムスにはユダヤ人コミュニティーは存在していません。その代わりとして再建されたシナゴーグやその周辺、ユダヤ博物館などが、この地に生きていたユダヤ人の歴史を現代に伝えています。

町の西側にはユダヤ人墓地も残されています。古い墓碑は1058年まで遡るものも。重要人物も多く埋葬されており、ユダヤ人におけるある種の巡礼地とも言える場所です。

ヴォルムス そのほかの見どころ

宗教改革を行ったルターの功績は、「ルター記念碑」として残されています。宗教改革に関する記念碑としては、スイスのジュネーブに次ぐ大きさ。1868年行われた除幕式では、多くの選帝侯やプロテスタントの重要聖職者をはじめとする約2万人が参加しました。

中心にルターが立ち、周囲にはルターや宗教改革と関わりのあった人物像が置かれています。向かって左の剣を掲げている人物は、帝国を追われたルターをヴァルトブルク城にかくまったフリードリヒ3世。

ほかにもシュマルカルデン同盟を結成してカール5世に対抗したフィリップ1世や、ルターの思想を体系化してプロテスタント教義の基礎をつくったフィリップ・メランヒトンなど、宗教改革を推し進めた人物たちがルターの脇を固めています。

ルター記念碑のある公園では花壇が整備されていて、夏に色とりどりの花が咲き乱れる様子はとても美しいです。木陰で本を読んだりお喋りをしながらくつろぐ人たちの姿も多く、市民の憩いの場であることがよく分かります。

町の至るところに残されている城壁もまた、ヴォルムスで見逃せないスポットのひとつ。城壁の建設はローマ人が住んでいた3世紀頃に始まり、中世では何度も拡張されてその規模を広げていきました。

城壁は17世紀のプファルツ継承戦争の際にフランス軍によりほぼ全て破壊されますが、その後一部が再建され、町に中世の趣を与えています。

世界遺産のロルシュ修道院

ヴォルムスから電車で20分ほどの場所にあるロルシュという町には、世界遺産に登録されているロルシュ修道院があります。

現在は「王の門」と教会部分しか残っていませんが、カロリング朝時代に建設された修道院としては唯一現存する貴重な建物です。広大な草原の前にぽつりと建っている「王の門」はどこか哀愁を感じさせるものがあります。

修道院の建設は764年、この地を治めていた貴族のカンコールという人物が母と共に私有修道院を建てた事からはじまります。765年に教皇パウロ1世から殉教者ナザリウスの遺骨を譲り受けたことで、巡礼者の数も増加しました。

王家の墓廟が築かれたほか、中世では最大規模となる図書館を備えるなど、神聖ローマ帝国における権力、宗教、文化そして医学知識の中心として栄えたロルシュ修道院。11世紀半ばから13世紀にかけて修道院は最盛期を迎えますが、その後マインツ大司教の手に渡ってからは衰退の途を辿ることに。

17世紀に発生した30年戦争ではロルシュの町も修道院も焼き払われ、「王の門」と教会部分のみが残されたのでした。

「王の門」はドイツで最も貴重な前ロマネスク様式の建物と言われており、アーチや飾り柱などがカロリング王朝時代の面影を色濃く残しています。世界遺産としては見た目のインパクトが少ないですが、歴史的価値の非常に高い建造物です。

ヴォルムス、ロルシュ修道院へのアクセス

ヴォルムスはフランクフルトから60kmほど南に位置しています。アクセスが良いのはフランクフルトやハイデルベルク。

各都市から電車での所要時間は以下の通りです。

フランクフルト
ベンスハイム乗り換えで約1時間

ハイデルベルク
乗り換えなしで約1時間

シュトゥットガルト
マンハイム乗り換えで約1時間20分

ヴォルムスからロルシュまではベンスハイム行きの普通列車で約20分。駅から修道院までは徒歩で15分ほどです。

おわりに

ヴォルムスはニーベルンゲンの歌の舞台となったほか、宗教改革やユダヤ人などドイツの歴史を語る上で重要な出来事との関連が非常に強い町。ドイツの歴史に興味のある方にはぜひ訪れてほしいです。

また「ニーベルンゲンの歌」も素晴らしい物語なので、この投稿で興味を持った方はぜひ読んでみてください。中世の世界観にどっぷりと浸ることができますよ。

ロルシュ修道院はほんの一部しか残されていませんが、威厳ある「王の門」の前に立つと、かつてこの修道院が手にした権力や地位の大きさが時空を超えて感じられるようでもあります。周辺の街並みも可愛らしいので、こちらの散策もぜひ楽しんでください。